ランチパックは1袋だと足りませんが2袋だと多いです
こんにちは、森田アイです
宝塚記念が終わりましたが、今年はウマ娘の影響か特に過去のレース映像が各所でよく流れていたような気がします。
今後の競馬を予想するのも楽しいですが、昔の名レースを振り替えるのもめちゃくちゃ面白いですよね。
というわけで今回は、宝塚記念でも話題になった
#ゴールドシップ にも騎乗されていた騎手、
#内田博幸 騎手について調べてみました!
【内田博幸騎手の経歴】
内田騎手は1970年7月26日生まれの50歳(2021年6月現在)
お父様が体操選手だった影響もあり、子供の頃は器械体操をされていたそうです。
ご実家は競馬とは無縁だったそうですが、佐賀競馬の騎手になられたお兄様の影響で、厩舎に遊びに行くなどするうちに騎手になることを意識されたそうです。
「どうせなら一番大きい舞台でやりたい」という思いから、1989年に大井競馬にてデビューされます。
大井では2004年に初の南関東リーディング獲得し、同時に初の地方競馬全国リーディングも獲得。
その後中央に移籍する前年の2007年まで4年連続で南関東リーディングと地方競馬全国リーディングを獲得。
2006年12月18日に年間騎乗最多勝利505勝の日本記録を塗り替え、最終的には524勝となりました。
きっとこの時代は南関東は内田騎手の馬券を買っときゃ当たる、という状態だったんでしょうね!
地方でもはや敵なしで、中央に移籍されて更なる高みを目指されたのもこの成績から納得です。
地方時代には、アジュディミツオーに騎乗し2004年と2005年の東京大賞典、それから2006年のかしわ記念・川崎記念、帝王賞を勝利されたり、
2006年の全日本2歳優駿をフリオーソで勝利されるなど、GI(JpnI)競走も多く勝利されています。
また、地方時代から中央競馬にも騎乗されていて、2003年には共同通信杯にてラントゥザフリーズで勝利され、中央重賞初勝利を挙げられています。
2007年にはNHKマイルカップ にてピンクカメオに騎乗し、中央GⅠ初制覇も果たします。
地方所属の頃から重賞どころかGⅠまで勝利されていたんですね!
地方と中央では競馬場の形状も規模もかなり違いますが、どちらでも結果を出されているなんて対応力もすごいですね!
そして2008年にJRAの騎手免許試験を受験し合格、3月1日を以って中央所属騎手となります。
この日は初戦で勝利され、史上2人目となる地方競馬からの移籍後初騎乗初勝利も達成されています。
中央移籍後も数多くのGⅠを勝利されていて、
2008年の宝塚記念をエイシンデピュティで勝利。
同年の菊花賞をオウケンブルースリで勝利し、JRAのクラシック競走初制覇。
2009年のフェブラリーSをサクセスブロッケンで勝利。
2010年には東京優駿をエイシンフラッシュで勝利し、史上初となるJRAの東京優駿と交流のジャパンダートダービー、南関東・大井の東京ダービー制覇を果たします。
騎手にとって1つでも勝ちたいダービーを、こんなにたくさんの種類を獲られている方がいるなんて、今回調べて初めて知りました!
また、2009年には146勝を挙げ、中央競馬の総合リーディングジョッキーとなります。
しかし2011年5月に大井競馬で落馬し、頸椎骨折の重傷を負い、8か月に及ぶ長期休養を余儀なくされました。
医師から「死んでいてもおかしくない」と言われたほどだったそうです。中央に移籍され、これだけ調子の良い期間に大怪我をされると、人によっては立ち直れないくらい辛いですよね。
競馬ファンの皆さんにとってもかなりショックな事故だったのではないかと思います。
この後2012年1月に復帰されますが、この年にあの名コンビが誕生します。
2012年の皐月賞・菊花賞・有馬記念、2013年の宝塚記念をゴールドシップに騎乗し勝利します。
(※ゴールドシップについてはこの後詳しく記載します!)
更に、ヴィルシーナとのコンビで2013年と2014年ヴィクトリアマイルを連覇、
2018年にはフェブラリーSをノンコノユメに騎乗し勝利されています。
大きな事故も乗り越え、現在もコンスタントに勝ち星を重ねられています。
【内田博幸騎手とゴールドシップ】
ゴールドシップには2012年の共同通信杯から計12回騎乗され、計7勝を挙げられた内田騎手。
超やんちゃ、暴れん坊というイメージのゴールドシップですが、内田騎手はゴールドシップについて、
「気が強く、オレが一番だと思っている馬」
「お前に負けないからな。やったらやりかえすからな。やるならやってみろ。」
という気持ちで接してらしたようで、気迫で負けてはいけないとかなり尽力されていたようです。
実際にゴールドシップは、レース前から地下馬道を通って馬場入場させるだけでもひと苦労だったそうです。
そんなゴールドシップに対し内田騎手は、時には地下馬道から喉がかれるほど叫んでおられ、ゲートイン間際には、「ウォーウォー」と吠えていたこともあったそうです。
なめられないように威嚇し、自分の方が立場が上だとアピールされていたんですね。
少なくとも私が競馬を始めてから、騎手の方がレース前に叫ばれたりしているのは見たことがありません。
このようなガッツと気迫を持った内田騎手だからこそ、かなり気性の難しいゴールドシップを上手くレースに導き、このコンビで7勝も挙げられたのだと思いました。
しかし、こんな大変な思いをされて騎乗された内田騎手ですが、ゴールドシップのことを「神様からのプレゼント」ともおっしゃっています。
大きな怪我から復帰された年にあれほどの活躍をしたということで、
「自分を後押ししてくれた馬。また僕がこの世界でやっていけると思わせてくれた馬。もの凄く感謝しています。」とおっしゃっています。
大怪我をされて、復帰後なかなか結果を出せない騎手の方もたくさんいらっしゃいますが、このタイミングでのゴールドシップとの出会いはまさに運命的だったんですね。
最近話題のゴールドシップですが、その活躍は内田博幸騎手という名手がいたからこそだと知り、それを知った上でまた内田騎手が騎乗されたレースを見返そうと思いました!
また様々な騎手について調べていきますので、よろしくお願いします!